憂国のバンテージー

 In 奉納演武, 師範

インド仏教最高指導者の佐々井秀嶺師(我々は敬意をこめてバンテージーとお呼びする)が、世界を惨禍に巻き込んだ武漢発症の新型コロナウィルス大流行を乗り越えて、四年ぶりの来日を果たし、令和五年五月三十一日に我が道場にいらしてくださった。

久しぶりにお会いしたバンテージーは、痩せてはいらしたが、エネルギーは満ちてお元気で、私たちの演武の奉納をご覧になられ、嬉しそうに「お前はやっぱり武道の人間だな!」とおっしゃったのが印象的だった。

その後、みんなでバンテージーを囲んでお話を聞いたのだが、その中でバンテージーが終始訴えておられたのが、日本はこのままではダメになる、インドにいるとそれが良く分かる、元気がない、覇気がない、未来がみえないということだ。

その原因のひとつとして、天皇陛下を大事にしないことや、武士道を忘れたことがあるとおっしゃり、特に講談に描かれた武士の生き方をインテリどもはバカにするが、それが史実であろうとなかろうと、多少誇張がすぎようとも、そうした物語を読んだり聞いたりして、人間かく生きるべきだと庶民は学んで立派に生きてきたのだから、「講談師(講釈師)みてきたように嘘を言い」と断罪し、切り捨てるのは、地べたに生きる普通の日本人が持っていた美徳を捨て去ることと同じだとおっしゃった。

武士道は何かと定義することは大変難しいことであるが、庶民感覚で考えると、バンテージーの世代は講談本に描かれた武士の姿であり、現代においてのそれは、意外と「鬼滅の刃」などのアニメにエッセンスが色濃く残っているのではないだろうか。

そうであるならば、バンテージーらの世代と若者は案外、感覚が近いのかもしれない。

日本は問題を多く抱えていて、このままだと未来も暗くなりそうだと多くの人が思っているようだが、私は未来を絶望視していない。

なぜなら、問題は明らかであり、解決する方法もあるからだ。

それは、バンテージーの言葉が示唆する通りで、天皇陛下を大事にすることと、武士道精神を持つことだ。

天皇陛下を大事にすることととは、言うまでもなく、日本の歴史と国柄に誇りを持つことであり、武士道精神を持つとは勝つために自己鍛練し、自分以外のものに命を捨てる覚悟ができた結果、その霊力の自然な発露によって災いが自ら去っていく境地に近づくことだ。

これこそが、日本の地べたを這いずるように生きてきた普通の庶民が畏怖し、憧れ、目標とした姿なのではないだろうか。

この点に若者が気づく機会を多く持つことこそが、日本を危機から救う道だと思う。

(写真 大社優子)

日本武徳院 殺活自在流剣法

師範・剣士 黒澤龍雲

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