相沢中佐事件 実証実験 Gシード研究会
七月六日、東福院道場にて、Gシード研究会主催で演武と講義をいたしました。
今回は軍事関係者の参加者も多いので、いわゆる「相沢中佐事件」の実証実験をしてみました。
相沢中佐事件とは、昭和10年(1935)8月、皇道派の陸軍中佐相沢三郎が、統制派の陸軍省軍務局長永田鉄山少将を執務中に斬殺した事件で、翌昭和11年(1936)の二・二六事件の伏線となったと言われています。
中村泰三郎先生は、この事件のことを著書にも書かれており、実戦における剣の使い方の問題点を指摘しておられました。
今回は、特にその部分を中心に、問題点の実証実験をしてみました。
簡単にかいつまんで言うと、相沢中佐は永田鉄山少将に三太刀あびせているのですが、その二太刀目の刺突の時に、思わず左手で刀を握ってしまい、指四本に骨まで達する深手を自ら負ったのです。
相沢中佐は、剣道、銃剣道の達人と軍でも有名でした。
本人は獄中で、自ら剣を握って深手を負ったことを大変悔いていたようです。
中村先生は著書の中で、古流では剣の棟に手を当てるような型があるが、実戦となったら、相沢中佐のような達人でも、無意識に真剣を握ってしまうようなことが起こるので、棟に手を当てるような技は行なわないようおっしゃっておりました。
確かに剣士の立場から考えると、先生のおっしゃる通りなのですが、私が以前から疑問に思っていたのは、相沢中佐は軍人で、銃剣道の達人でもあった点です。
銃剣で刺突するならば、左手は銃の中心あたりを握ることになる、相沢中佐はとっさに銃剣と混同して、刀を握ってしまったのではないか。
今回、軍事関係者の方も参加していたので、私が疑問に思っていた点を実証しながら議論していくと、陸軍軍人で銃剣道をやっているのであれば、とっさに左手で握ってしまうことは十分にあり得るとのことでした。
またこの時、永田少将と一緒に部屋に居合わせた新見大佐も斬られているのですが、相沢中佐は斬った意識がなく、新見大佐もとっさに相沢中佐の腰に抱きつき、制止しようとしたら、知らぬ間に斬られていたと供述しています。
これも実証の結果、一太刀目の斬撃で二人を同時に斬ったのではないかと確信が深くなりました。
相沢事件は判決文がネットにあり、それをもとに、軍事関係者の方の意見も参考にした実証実験は、私も大変勉強になり、有意義でした。
今後も、象徴的な事件などを取り上げ、専門家の意見も聞きながら、学びを深めていかれればと思います。