日本刀の見方の基本と、実践的試し斬り論
先日、Gシードにて「日本刀の見方の基本と、実践的試し斬り論」という講義をした。
Gシードとは、各分野で活躍する有志の勉強会で、メンバーには国家公務員や自衛隊員、医師や薬学系の人などがいる。
今回はおおまかに、日本刀の宝物としての側面と、武器としての側面を話したうえで、宝物としての側面に焦点をあてた。
刀は神の依代であったこと。それが三種の神器のひとつである「天叢雲剣」となり、熱田神宮のご身体であることや、後鳥羽院が刀の見方を良く心得られ、京都や岡山から名工を選抜して招聘し、院内で鍛刀されたと伝えられることなどを話した。
また、明治天皇は名刀の鑑賞を大層好まれ、結果として多くの名刀が明治天皇のもとに集まったこと、そしてそれが東京国立博物館の日本刀コレクションのもととなり、私たちも目にすることが出来る幸せについても話した。
何よりも先人たちは日本刀に、「破邪顕正」「魔を払う」「邪なものを斬る」など、特別な力を見出していた。その最も重要な要素は、青く澄んだ地鉄と、白く輝く刃文にある。
現代を生きる我々が、なぜか日本刀に魅力を感じ、みたい、知りたい、持ってみたいと思うのは、先人たちが感じていたような特別な力を、我々も同じように感じるからではないだろうか。
講義の後半では、私の試し斬り演武の映像を見てもらったうえで、その時に使った愛刀と、幕末につくられた短刀を、実際に手に持って鑑賞してもらった。
その後に、皆さんに感想を聞いたが、もっとも印象的だったのは自衛隊員の方の言葉だった。
それは、武器は明確に人を殺傷するための物だが、日本刀を持つと単純に武器とは思えず、武器であって武器以上の面が感じられる。
日本刀は殺活を追求した極地の削ぎ落とされた美しさであり、まるで生き物のように思えた、とのことであった。
私はこの言葉を聞いて、このような感受性を持っている方がいる自衛隊は、なんと素晴らしい軍隊なのだろうと感動し、こういった感受の輪を広げていくことが平和を維持する道なのだろうと思った。
武器に神性を見いだすのは日本人特有の感性で、我々は数千年にも渡って、この感性を引き継ぎ、育んできた。その物的証拠となるのが、錆びもさせずに、ぴかぴかに研いで、大切にされきた数多くの日本刀である。
武漢ウイルスの世界的流行以降、中国共産党の悪辣さがバレたこともあって、世界は一気に不安定化している。
そんななか、日本が独立した日本として生きていくために必要なのは、日本文化の素晴らしさを、日本人がもっと自覚して、日本という国に誇りを持つことである。
日本文化の中心には日本刀がある。日本刀を知ることによって、日本文化の奥深さを知り、日本が好きになり、自己肯定感も生まれる。
そうやってプラスのエネルギーを廻していくことが、これからの時代にもっとも必要なことだと私は思う。
今後も日本刀文化の素晴らしさを伝える活動を広くしていきたいと思う。
興味がある人は、どうぞ気軽に道場に遊びにきてほしい。
日本武徳院殺活自在流
師範・剣士 黒澤龍雲
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