令和七年 靖國神社奉納演武の報告
大東亜戦争終結から八十年、昭和百年、日露戦争終結から百二十年、そして日清戦争終結から百三十年という節目の年にあたる本年、令和七年十一月一日、靖國神社にて奉納演武を執り行いました。

例年通り、参加者全員で昇殿参拝を行い、祝詞を奏上していただき、英霊の皆様に哀悼と感謝の誠を捧げました。
靖國神社の本殿に上がると、いつもながら不思議な温かさに包まれ、まるで英霊の皆様が「よく来たね」と迎えてくださっているように感じます。
英霊の方々は、我々が想像することも難しいほど過酷な時代を生き抜き、尊い命を捧げられました。
しかしその魂は、靖國の社に祀られることで静まり、今を生きる私たちに生きる力を与えてくださっているように思えてなりません。
靖國神社を否定的に語る人々もおりますが、そうした方々は魂の在り方や昇華の意味といった、言葉を超えた霊的世界を理解していないのかもしれません。
地位や名誉、あるいは金銭といった物質的価値のみに囚われる唯物論的な思想では、霊性の次元に触れることは難しいでしょう。

本来、日本人は、万物に宿る霊性を感じ取り、それに敬意を表して生きてきた民族です。
そのような日本人固有の心性を否定し、破壊してきたものこそ、戦後民主主義教育の弊害の一つといえるでしょう。
戦後八十年を迎える今こそ、我々はその害悪を乗り越え、日本人の精神を取り戻さねばなりません。
それこそが、英霊に報いる我々の務めの一つであります。
奉納当日、私が能舞台に上がったとき、曇っていた空が突如晴れ、強い西日が差し込みました。
組太刀の奉納では、打太刀を兄弟子の竹内顧問が務め、私が仕太刀を務めました。
仕太刀の立ち位置はちょうど西日を正面から受ける側であり、打太刀の姿は逆光の中に影となってほとんど見えません。
しかし、目に頼れば乱れると思い、「心眼で観る」と決めて臨み、無事に奉納を終えることができました。

ここ数年、奉納時にはカラスの鳴き声で歓迎を受けることが多かったのですが、今年は西日の光によって歓迎の意を示されたように感じ、深く感謝しております。
英霊の御加護のもと、良い修行をさせていただきました。
誠に有り難うございました。
写真 福持英助





