20thannive
川口澄子(画工)

日本武徳院 道場設立二十周年記念サイトに多くのメッセージをいただきありがとうございます。
このページは二十年の間にご縁があり、演武、あるいは道場などで私の剣技を実際にご覧いただいた方にメッセージを頂戴致しました。
皆様からの言葉を胸に、これからもより一層精進いたします。
二十周年をひとつの区切りとして、今後ますますご縁の広がりますことを。
末筆ではありますが、メッセージをいただいた方々、またこれを読んで下さっている皆様のご健康とご活躍を心よりお祈りいたします。

平成三十年八月仏祥日 日本武徳院 殺活自在流剣法 師範・剣士 黒澤雄太「龍雲」

漫画家

藤子不二雄A

剣士・黒澤雄太氏の演武をはじめて目にしたのは、故・赤塚不二夫氏の文部大臣賞受賞記念のパーティの席だった。昔から「チャンバラ」(と云うと大変失礼だが)が大好きなぼくは、その演武に魅せられた。ザワつくパーティ会場の中、黒澤氏のまわりの空気だけが、ピンと張りつめられていた。続きを読む

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藤子先生は、私の剣を最初に認めてくれた人です。
受けたご恩ははかりしれません。
先生と最初にお会いしたとき、私は20代でした。
まだ何者にもなっていない私を面白がり、ご自身の作品の参考にするばかりか、その後、先生の故郷である氷見市でも祝賀演武をさせていただきました。
そのおり、氷見市が一望できる温泉に一緒に入り、あそこが自分の生家で、あの道を通い学校へ行ったなどと、手づからお話いただいたことが、特に印象に残っています。

公益財団法人佐野美術館館長

渡辺妙子

黒澤さん
道場設立20周年おめでとうございます。
日本刀の鑑定は武士の嗜み、それは武士の人格・品性を鑑定するための修練でもありました。
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私には残念ながら、武道において師と呼べる人はいない。
しかし、他の分野では、ありがたいことに師と仰ぐ人が何人かいる。
渡辺先生も私にとって大切な師のひとりで、刀の鑑定を通して審美眼を磨くべく、ご指導をいただいている。
佐野美術館の講座は本当にレベルが高く、まごうことなき名刀たちがならぶ。
それを手に取り、名刀の氣を全身に受けると、生命が洗われるような感覚がある。
毎月先生にお会いし、名刀とともに薫陶を受けることが、今の私を細胞レベルから作ってくれている。

インド仏教最高指導者

佐々井秀嶺

日本武徳院 殺活自在流剣法師範 黒澤雄太「龍雲」に捧げる祝いの言葉
今回承りますれば、道場設立20周年に道場設立20周年に当たるということで
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バンテージ(佐々井師のことをインド仏教徒たちはこう呼ぶ)も、私の大切な師のひとりで、「龍雲」という剣名と「殺活自在流」の命名をしていただいた。
私は今まで流儀の名前を名乗らなかった。
それというのも修行時代に、ご大層な流名看板を出してはいるが、剣も人格もそれに見合うのか疑問に思わざるをえない人や、有名な流儀の継承者だと詐称している人をたくさん見てきたからだ。
自分もその一人であるよう、世間から誤解されるのは嫌だった。
その一方で、試斬居合道という名称にも、次第に疑問を感じるようになってきた。
そんなおり、バンテージと対談する機会があり、かねてから剣の理想としていた殺活自在の境地の話をした。
するとバンテージは、その場で殺活自在の境地を流儀の名前とすべしと、名に命を吹き込んだ。
殺活自在流の名乗りに至ったのは、こういった次第なので、私の求道はバンテージと同じ道であると肚を決め、不退転の決意で精進します。

作家・福聚寺住職

玄侑宗久

黒澤さん、道場設立20周年おめでとうございます。じつは私も人前に文章をさらすようになってほどなく20年になります。
私もこれまで『日本人の心のかたち』を
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玄侑和尚とは、このページのイラストを描いてくれた川口澄子さんの縁で、年に一度くらいではあるが、福島県三春にある和尚が住職をつとめる「福聚寺」での坐禅会に参加している。
昨年はそこで、奉納演武も執り行った。
和尚とは丁度ひと回り年齢が違う。
禅に裏打ちされた生き方と言葉には深い説得力があり、人生の先輩として尊敬している。
今回和尚が寄せてくださった文章に、「日本人の心のかたち」という印象的な言葉がある。
それを読んで私は、日本人の心をそのまま形にしたものが「刀」だと思った。
そして、刀を扱うには、よくよく修練された心と身体がなくてはならない。
そのことを忘れることなく「剣禅一如」、修行に励みます。

写真家

森日出夫

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今や伝説となった、白塗りをした娼婦「浜のメリーさん」の姿を捉えた写真集「PASS」などで知られる、横浜を代表する写真家 森日出夫さんが、30代終わりの私を大判のカメラで撮ったのが、この写真だ。
これは森さんの写真展で等身大に引き延ばされ、「武士道とは美意識である」との言葉を添えて展示された。
このころ私は、私的な問題を抱えていて、心は嵐のように荒れていた。
よく死なずに、あるいは殺されずにすんだと思えるような日々だった。
そんな時代の私を森さんが写真に残してくれたことは、この上のない喜びである。

ギタリスト・ソングライター

いまみちともたか

アイルランドの血もひく日本人にして音楽と
映画が好きな上に誕生日が自分と同じという
ロック兄ちゃん黒澤雄太氏の剣士としての姿
を見たのは某所で
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誕生日が同じ日の人は、初めて会ってもまったくの他人とは思えないような既視感がある。
いまみちさんがそうで、初めて話をした時から、あまり距離が遠くない感覚があった。
不思議だなと思ってwikiをみたら、同じ誕生日だったので、そういうことかと納得した。
それ以来、いまみちさんのことは兄貴分として敬意を持ってお付き合いしております。

作詞家、詩人

クリス モズデル

刀の名手としての黒澤雄太は強烈な経験である。
彼は緩められるのを待つ巻かれたネジであり、手にした刀と同じ位に研ぎ澄まされた思考回路を持つ往古の魂である。
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英国の詩人クリス・モズデルさんはYMOの多くの曲の作詞者として、私の世代では小学生の頃からその詩に親しんでいる。
クリスさんの詩の中に「Drip Dry Eyes」というのがある。
それは素敵な女性に振り回される男の心境を描いた詩なのだが、以前その歌が自分の気持ちにピタリとシンクロしている時期があり、いまでも歌詞を覚えている。
そんなクリスさんと、後年こうやって親しくなるのも縁の不思議だが、クリスさんからみた私と、クリスさんの詩に共感する私との間には、客観的にみたら随分と距離があるようにも思え、少し可笑しくなってしまった。
これからも繊細な感性で、美しい詩を創造しつづけてください。

アコースティックギタリスト

押尾コータロー

黒澤さんの真剣の演武を見て
真剣に何かをする事の意味がよくわかりました。
生半可な気持ちだと、大怪我をする。
人生を真剣に向き合わねば!と教えられました。
道場設立20周年おめでとうございます!

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その道の達者の手にかかると、道具はまるで生命を吹き込まれたかのように躍動し、その可能性の究極を引き出される。
押尾さんのギターがまさにそれで、彼とギターが一体となって奏でる音楽は他の何にも似ておらず、時空間がひとつ違うかのような歓喜の響きで我々にそそがれる。
甘美であるが峻厳さを感じさせるその音は、押尾さんの求道者的精神をよく表していると思う

茶道宗徧流家元

山田宗徧

日本武徳院創設20周年おめでとうございます。
桐島ローランドと茶会をした際に、居合をして
いただき、神様が降りてきたような、凛とした
空気感ができあがったのを思い起こします。
剣先がより研ぎ澄まされ、龍雲沸き起こることを
確信しています。

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家元とは、30代のはじめ頃からのお付き合いで、初釜茶会に招かれたり、「道を継ぐ者」という茶会と演武のこころみをしたりと、親しくしている。
出会った頃の未熟な演武で「神様が降りてきたような、凛とした空気感」を感じていただいたのは、やはり家元の感受性の強さゆえであろう。
いつだったか、私も家元の初釜の手前の時に、障子から差す光と、茶釜から沸きおこる湯気に、逆光になった家元のシルエットや、柄杓を操る指先の美しさがあいまって、そこに神様が降りてきたように思えた瞬間があった。
自分の行いが、自己の領域を超えて、神の依り代となること。
それが私たち日本人の古来から求めていた「かたち」なのだろう。
そうとらえれば、茶道の型も、剣の型も、もともとは神の依り代としての「かたち」というところからきている、と言うこともできる。
家元の文章を読んで、型の本質をあらためて心に刻むのであった。

画工

川口澄子

道場設立20周年、まことにおめでとうございます。

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川口さんは、いまは「門脇さん」になって、関西に引っ越したので、なかなか会う機会がないが、お互いに色々な経験を積んでいるのを脇から見つつ、のぞきつつ、そのたび立ち上がってくる闘志に敬意を抱きあっている戦友のような仲なのではないかと私は思っている。
面と向かってシビアな話をしたことはない。しかし、苦しい局面を乗り越えたことは、言わなくてもわかる。
私としては、他者というよりも、仲の良い親類のような人で、いつも一緒じゃないけど、いつも気にかけているし、たまに会うと、会わなかった間の空白なんてまるでなかったように接することのできる、稀な人だ。
玄侑和尚との縁も川口さんが結んでくれたもので、三者の縁の結晶が2017年に和尚が東京新聞に書いたエッセイとなった。こちらのブログもご覧ください。

雲母唐長 唐紙師

トトアキヒコ

黒澤さんとぼくは互いに肚に龍が棲む。
だから、気が合う。
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肚に龍が棲むから、時にその龍が暴れる。トトさんは、その暴れる龍と歓喜天さんの力をかりて、唐紙の美を追求する。
そうしているのが聞かなくてもわかるから、気が合うのだろう。
暴れる龍をなだめるのは、美しい女神の役割でもある。
そういうところも、トトさんは間違いないと思う。
百尺竿頭に歩を進め、たとえ落ちても、龍は天翔けるから、恐れることはない。落ちろ。
落ちることを恐れたら、道を究めることはできない。
それが我ら龍族の流儀なのだ。

待乳山本龍院 住職

平田真純

日本武徳院道場設立20周年、誠におめでとうございます。
現在でも「武士道」は、日本人の心の中に生きています。たとえば
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待乳山は江戸の昔から「聖天さん」として親しまれたお寺で、広重の絵に描かれていることでも有名だ。
また、隅田川から猪牙舟に乗って、待乳山をかすめ、裏の堀を通って吉原までというのが、江戸の遊びの風流だったようで、昔が偲ばれる。
数百年前と現代の時間が、同じ地平で交錯するのが神社仏閣の良いところで、待乳山には江戸の粋の名残が色濃く残る。
そんなお寺で住職をなさっている平田和尚は、実はギターを弾き音楽活動もされている。
住職の中でも、過去と現在の時間が織り混ざっており、それがこのお寺の気持ちよさにも繋がっているように思える。

美術作家

関根直子

以前黒澤さんの道場に伺った際、真剣を持たせてもらったことがあります。
鋭い刃先は長く、そして重く、刀はその形であるゆえに持つ人の所作を変えるのだと知りました。
道場は物によって引き出される人の可能性が見えてくる場なのではないでしょうか。
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美術作家・関根直子さんの作品は、鉛筆を使った独特なものが多く、その際立つ個性は、一度みたら忘れない。
人も作品も、どこか飄々として、世俗を超越しているように感じる。
きっと0.5次元くらい時空がずれたところで創作しているのではないか。
アーティストは、この「ずれ」を作品に昇華するのが仕事だが、当の本人は「ずれ」を自覚していなかったりするから面白い。
ますます関根さんらしい作品を創作されることを。

写真家

大社優子

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大社優子の写真は、人間の陽の側面を優しい眼差しで切り取る穏やかさがある。
私を撮る時、多くは武張った面、鋭く尖った面、激しく太刀を一閃する場面を好むものだが、彼女はそれよりも、ここに載せた写真が好きなようだ。
そこには、自分ではあまり注目することのない自分の姿が写っている。
彼女の眼を通して切り抜くと、違った自分がみえる。
この写真のように穏やかに、笑って精進していきたいと思った。

落語家

柳家燕弥

20周年おめでとうございます 私の真打昇進披露宴で黒澤さんには演武をして頂きました。 刀で四方八方に天地を加えた十方の魔を払うという意味合いがある「十方払いの儀」続きを読む

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燕弥さんとは、彼がまだ二ツ目で「右太楼」を名乗っている頃に佐々井バンテージの縁で知り合った。
真打昇進の際には帝国ホテルで、並み居る落語家さんたちを前に祝賀演武を執り行い、とても良い経験をさせてもらった。
燕弥さんは、我々が想像する、いわゆる落語家然とした人物いうよりも、ずっと普通で、スーツなど着ていたら勤め人に見える。
しかし話してみると、不可思議に思うことが多く出てきて、擬態に騙されてはいけない、この人はやはり落語家なのだと気づかされる。
これからも、おやっと驚かせ、笑わせてください。

慶應義塾横浜初等部教諭

齋藤秀彦

剣が単に人を斬るための道具にすぎなければ、それは150年前に
無用の長物と成り果て、剣を使った演武は古典芸能の域を出なかったであろう。
剣には、剣そのものに美を追求する要素があり、また使い手の精神面の強さや
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斎藤さんは今は慶應の先生だが、最初に出会った頃は某有名アパレルメーカーの執行役員だった。
初志を貫徹するため、その職を辞して先生になったという筋金入りの人だ。そういう人だけに、言葉に信頼が持てる。
「剣そのものに美を追求する要素があり、また使い手の精神面の強さや美しさを映し出す鏡のようなところもある」
これは、いま一度真摯に向き合うべき命題だ。
「剣には、道具を超えた深いものがある」ということも、いつしか刀に狎れてしまいがちな我々が、常に注目しなければいけないところだ。
このような本質的なことを、すばっと言ってくれるのは友人として有難い。
斎藤さんに、先生として出会えた子供たちは恵まれている。
これからも未来を担う子供たちに本質を伝える教育をしてください。

株式会社アウトレーヴ代表取締役

浅岡紀子

日本武徳院 黒澤雄太「龍雲」 先生
黒澤師範のお人柄に興味を持った事がきっかけでありましたが恐る恐る「稽古を拝見させて下さい」とお願いしたあの日。
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アウトレーヴは趣味性の高い車を扱う店で、私が愛読する自動車雑誌「Tipo」に何度か登場しているので知っていたが、オーナーの浅岡さんからFaceBookを通じてメッセージをいただいた時には、ご縁の巡り合わせに驚いた。
その後のお付き合いで、こういう人が運営いるからこそのアウトレーヴなのだろうなと強く感じた。
そこは、たんなる車屋の枠を超えた文化の発信基地であり、アウトレーヴは店ではなく、サロンに近いものなのではないか。
そういう姿勢と在り方に共感します。

鳳笙奏者

井原季子

日本武徳院道場開設20周年、おめでとう御座います。
揺るぎない集中力と不動の精神力、一瞬の閃光と共に振り下ろされる真剣。
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鳳笙を奏する井原さんの姿は気高く、凛として、神々しい。
まるで天女が地上に舞い降りて鳳笙を奏でているかのような美しさだ。
そんな井原さんの姿を見ると、私はDead Can Danceのリサ・ジェラルドを思い出す。
女性としての強さとしなやかさをあわせ持ち、どこまでもやわらかく、しかし芯はピシッと通っている。
日本は神代の時代から女性が強く、女神の多い国だが、井原さんもその血を脈々と継いでいる一人ではないだろうかと私は思っている。

編集者

小松現

初めて道場に足を運んだときに眼にした「真剣」の迫力――。この瞬間を忘れることはないでしょう。
これからも、「真剣」のオーラで私たちに新たな眼を開かせてください。道場設立20周年おめでとうございます。

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小松さんは私の著書「真剣」の担当編集者で、執筆中にとても深い付き合いをした。
なかでも、箱根にある光文社の保養施設に原稿を持って泊まり込んで校正の確認作業などをした時は、
昔から聞く作家先生がカンヅメになるとは、こういうことではあるまいかと思った、大変楽しい記憶だ。
中庸で、穏やかな人柄なので、私の我儘にもよく付き合ってくれた。
小松さんが編集者だったから、私でも一冊の本を書くことができたと感謝しています。

人形師

岡馬勳

剣士である黒澤雄太ですが、私には彼が剣士であることは関係がなく。
特筆したいのは、彼の人間好き、興味のあることには労を惜しまない行動力、
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人形師の岡馬勲とは、お互いまだ何者でもなかった頃からの友人だ。
彼の師匠が、私の同級生の母親で、そこに遊びに行った時に紹介された。
その後、同級生との縁は途切れたが、岡馬との縁はつづくことになるから不思議だ。
彼のつくる人形は、とても繊細で、可愛らしく、凛として美しい。
その美を表出させるため、裏でしている仕事の細やかなこだわりも、人形師としての矜持を感じさせる。
たまに会って話すと、お互いの立ち位置を確認できる、そんな信頼できる友人の一人だ。

映像監督

大槻一雅

情け深くて、冷徹。挑発的で、思索的。理想家で、現実主義。権威への反逆と、本物への敬意。和装に、ブーツ。戯れながら、真剣。
数々の矛盾をケレン味たっぷりに自ら斬り結ぶスタイル、それが
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大槻カズとは大学の同期で、当時の日芸の学生というのは、世の中の事象を斜めに見て、それを哲学や思想や芸術論にからめて一家言を持ち、小難しい論理を構築するのが当然だという風潮があった。
そうは言っても、所詮は芸術学部なので、小難しい論理が続くと飽きてしまい、次第に異形や幻妖なものへの愛の話などに展開していく。
今思えば世はバブルに浮かれ、金に困らなかったこともあり、モラトリアム期間として最高の環境を与えられた世代と言えよう。
そのせいか、「一生遊んで暮らしたい」というのが私たちの偽らざる本音であり、それを仏教では「遊戯三昧」という。
カズも今は子供もいて、すっかり落ち着いているが、遊んでいる感じは相変わらずだ。

セレクトショップ「High and Seek」ディレクター

夏川イコ

数年前に表参道をブラブラしていて、黒澤さんと一緒に古い刀剣を見に行ったことがありました。
独特な重みのある真剣を実際に手にしてみて、刀剣自体の強烈なエネルギーに、
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夏川イコと言われても、正直ピンとこないのは、これは彼女の本名ではないからだ。
それに彼女のお店ときたら「男子禁制」だと言うので行かれないし、せいぜいブログを見ることくらいしか、夏川イコとの接点がない。
しかし、本名の方の彼女とは長い付き合いで、私の暗黒時代をよく知っている数少ない友人である。
だから文章のオチで「不思議ちゃん」扱いされても、弱みを握られているゆえ、文句が言えないのだ。
長い友人というものは大切な存在であると同時に、恐ろしいものでもある。

フォトグラファー

柏谷 匠 かすや たく

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フォトグラファー柏谷 匠は、彼のキャリアの初めの頃から知っていて、その才能の開花するところを近くで見られ幸いだ。
特に彼の撮る白黒のポートレートは、その人物の深奥が画面からにじみ出て秀逸だ。
日本の写真家の撮るポートレートは、湿度が高めでジメジメしてくるものが多いように思うが、彼のはサラッとしていていい。
あまりにサラリとしすぎると印象に残らなくなってしまうが、彼の作品はそうではなく、春の気持ちよく晴れた日のように、湿度の具合がちょうどいい。

総合自分自身芸術家 炬燵の王様

チョップ・イチロットン

黒澤師範とは2014年10月4日に大分県別府市で行われた共通の友人が主催したイベントでの共演で知り合い、師範は居合の演武、僕はロックバンドでそのステージに立った。
その日、あらゆる
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チョップさんとは別府で一度会っただけで、その時にゆっくり話したわけでもないが、何か旧知のような、旧友のような気がして仕方がない。
おそらく前世で浅からぬ因縁があったのだろう。
彼の著作を読んでも、自分と同じような体験や心象が綴られていて、きっと物の見方や好きなことも似ているのだろう。
嫌いなことや許せないことも同じかもしれない。
とにかく私たちは、人の指図は受けない、自分の志を貫くというところで一致しているのだ。
若い頃はそう思い実行している人も多かったのに、歳を重ね難しくなったのか、諦め脱落していく人も多いようだ。
そんな中、チョップさんは貴重な同志である。

カルティエ ヘリテイジ部門 Head of exhibitions

ルネ・フランク

雄太さん、私はいつも初めて会った日のことを覚えています。
私の友人コリーヌは私に、雄太さんとその芸術を紹介するドキュメンタリー映画のリリースに出席するように私を招待しました。それはずっと前、赤坂のどこかでした。
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男と女の間に性愛の介在しない友情は存在しえないと言う人も多いが、私は決してそんなことはないと思う。
現にルネともそのような関係で、それはルネも書いているように兄弟に近いのかもしれない。
ルネのおかげでパリのカルティエ現代美術財団での演武ができた。
これは稀有な体験だった。
彼女の亡き父ベルナール・フランクさんは、西欧における日本学の泰斗である。
そのままに遺されたベルナールさんの書斎に一歩足を踏み入れた時、革装の古い本が床から天井まで壁全体を覆い、西欧知識人の知性に対する貪欲なまでの迫力に圧倒されたことも忘れられない。
知性的であれとは、自分の中で渦巻く情念を決して表には出さぬようにする、やせ我慢のペルソナであると、ベルナールさんに教わったように思えた。

篠笛奏者

村山二朗

道場設立二十周年のお祝いにと、この度寄稿するにあたり横浜道場にお伺いし主である黒澤雄太氏に素朴な問を投げかけてみた。
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笛吹き二朗さんは、私にとって謎の人である。長い付き合いなのに、この人のキモはここだと指摘することが難しい。
車好きで、カスタムした車に乗っていたり、いきなり古いポルシェを買ったり、どうやら我々に詳らかにできない車も持っているらしい。
謎が謎を呼ぶばかりで、いつも煙に巻かれているような気がする。
この文章のため、久しぶりに道場で会ったのだが、外見も話し方も若い頃とまったく変わらない。
しかし、こちらが聞きたい要点は絶妙にずらされ、決して正体は表さない。
けれども、文章を書くと、このように真当至極だし、笛の実力は申し分ない。
なのに、なんだろう、この「間が外される」感じは。二朗さんは、古の忍者の末裔なのかもしれない。

鎌倉コーヒー豆 店主

中島康雄

『長月の紅葉の上に雪ふりぬ
見る人誰かことの葉のなき』

異中異、同中同。行布門のようで続きを読む

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今は鎌倉で自家焙煎コーヒーのお店をやっている中島さんだが、以前は葉山でカフェを営んでいた。
その前は海外でレコーディングエンジニアをやっていたり、禅に造詣が深かったり、スピリチュアルな感覚に長けていたりと、なかなか変わった人だ。
いつも不意に連絡があり、それがあたかも必然であるかのように、会って話したりする。
何か異空間で同調しているものがあるのかもしれない。

映像作家

小林三旅

20周年おめでとうございます。これからも龍の一族であることを誇りとして、皆で世界中を泳いで行きましょう!

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三旅君はドキュメンタリーを撮る作家だ。インド仏教最高指導者の佐々井師をずっと追いかけている。
佐々井師の周りに親しく集う人を「龍族」というが、三旅君はその中心人物だ。
人を撮るのが彼の仕事だが、彼自身の人生もなかなか波乱に富んでおもしろい。
韓国人の映画監督キム・ギドクの作品に、スランプで映画が撮れないとき雪山にこもり、自己に悩み、呻吟する姿を自撮りした作品「アリラン」があった。
三度君が自分の人生を自撮りする作品も観てみたい気がする。

撮影師

長田勇一

※本ページの背景写真は長田氏撮影のもの

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長田さんは映画の撮影監督で、林海象の特徴的な一連の作品、「夢見るように眠りたい」や映画版の「濱マイクシリーズ」などは長田さんがフィルムで撮った。
林海象的な世界観を視覚化するには、長田さんの手腕と技術が不可欠だったのだろう。
いま見ても、とても新鮮だ。特に「濱マイクシリーズ」は地元ということもあり、今はなき店も多いので、あの時の空気感をよく残していて感慨深い。
そんな長田さんに撮ってもらうことは、何度目であっても至福である。